キスなんてただの束縛


「煙草、嫌いなんだよ。」

 成歩堂はあからさまに眉間に皺を寄せ後ずさる。煙たがったいるんだと、手でくゆる白い吐息達を追いやった。
「へぇ、そうなんだ。」
 知らなかったよ、と嘯いて、響也は昨日一緒だった女の子から貰った煙草を口にくわえる。細身で長いフィルターは女性の綺麗な指先に良く似合っていた。
 だから、何となくお強請りをして貰ったのだ。
「…。」
 むっつりと黙り込む響也に、成歩堂はシーツを引き寄せ口元を隠した。斜め左に視線を上げてから、褐色の肢体に瞳を戻す。
 成歩堂と響也は互いに全裸で、シーツにくるまりベッドに横になっている状態。
 言うまでもなく、そういう事をした後で、体内から吐き出してしまった物の隙間を埋めるように、響也は煙を求めた。
 スウと息を吸って、ふっと唇から逃がす。
「だいたい、歌手は喉を大事にするもんじゃないのかい?」
 心配しているという口調ではなく半ば呆れたような声色に、響也は不機嫌そうに眉尻を上げた。

身体に悪い。勿論喉にもなんて、わかりきった事だ。
それだったら、男を体内に受け入れるなんて自然の摂理に逆らった行為なんて、絶対、身体に悪い違いない。

「平気、肺までは吸い込んでないよ。」
「それ、中では出さないって言って、生でやる男の台詞に似ているね。」
「………何、それ?」
 今度は、響也が呆れた声になる。
「先っぽから精液が漏れてて必ず体内に入っちゃうのに、自分を危険に晒す女の子に似ているなぁと思って。」
「…訳わかんないんだけど…。」
「だからね、息をしてるんだから体内に入れてないなんて嘘に決まってるだろ。ひょっとして、自虐趣味があるとか?」
 口角の上がった笑みが、どうにも不愉快だ。
 引きずり込まれたベッドで好きにされて、事後も相手の揶揄につき合う気など、響也には全く無い。(嫌煙だから吸うのを控えて欲しいな)と頼んででもくれれば可愛げもあるが、髭顔も愛らしい中年親父に望むべくもないだろう。
 
「煙、嫌なら出て行くから。」

 一旦灰皿に火のついたままの煙草を置き、身体を起こす。
 椅子にひっかっているシャツを羽織りズボンを探した。どうにも拗ねた、ガキっぽい考え方だとわかってはいたけれど、このまま此処にいれば、きっと成歩堂にも八つ当たりをしてしまう。
 いや…、既にしているか。煙の代わりに溜息が出た。

「待った、待った。違うんだよ。」
 慌てた様子で手を付いて上半身を起こし、成歩堂はもう片方の掌で響也の手首を捕まえる。見事に働いた慣性の法則で響也はベッドに引き戻された。
 背中と頭がマットレスに沈めば、成歩堂が覆い被さり、唇を啄まれる。見れば、やはり眉間に皺を寄せて顔を上げた。
「…やっぱ、苦い…。ねぇ、響也くん、煙草やめようよ。」
「ニコチン中毒…はそうそうに抜けられないものじゃないのかい?」
 あからさまに嫌そうな顔をしてくるから、ついそんな事を言ってしまう。
 本当は煙草なんて殆ど吸ってはいない。極まれに貰い煙草をした時だけ口にする程度で、成歩堂とのセックスの方が余程回数が多い。
 
「だって、速効で煙草を吸われちゃったら勿体ないじゃないか。」
「はぁ?」
「もっと甘い余韻を楽しみたいのに、苦くなっちゃ勿体ないよ。」

 …なに、その理由。

 言葉にならなくてポカンと口を開けたまま成歩堂の顔を見上げていれば、とてつもなく良い事を思いついた風の笑顔に変わった。…胡散臭い。

「わかった。こういう事は周囲の人間の協力が何より大切なんだよね。」
「…だから…?」
「煙草なんて吸わなくても口寂しくないように、僕が協力してあげるよ。」
 間髪入れずに重なって来た成歩堂の唇は、今度はとんでもない時間、響也の口腔を拘束した。

 視線の先にある煙草が、フィルターを残して焼け落ちていくのが見える。ゆらゆらと昇る煙も直ぐに無くなってしまうだろう。
 この男を遠ざける理由を失って、響也は途方に暮れた気分になった。
 
 煙草をやめられないのが中毒だと言うのなら、アンタのキスなんてただの束縛だ。不毛な、将来を展望出来る関係でありもしないのに、こんなにも強く縛り付ける。
 溢れそうな思いは、胸を締め付けるほどに切ない。
 
「どうかな?」

 すっかりと息が上がった僕を見下ろすアンタは酷く得意顔だから、むっとした気分になる。きっと、僕は惚けた顔で、息も上がっていて、欲望にとろけた表情なのに違いない。
 悔しいけれど、自信満々な態度が証明するほど、成歩堂は上手い。
「アンタのキスは嫌いなんだよ。」
 しかし、歩堂の口調を真似、響也はそう答えた。一瞬だけ、困った顔になった男がどんな時よりも愛おしく思えた。

「だから、僕を抱き締めて。」

 そうして、子供の様に両手を広げ降りてくる腕を待つ。  


〜Fin



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